第11回わたしの「平成しぐさ・ふるさとしぐさ」に多数の皆様からご応募いただき有難うございました。
約2カ月にわたりまして、皆様からの応募作品を審査させていただきました。
その結果、最優秀賞には作文、川柳(五・七・五)、イラストの各部門で各1点、合計3点の作品が選ばれました。優秀賞作品は8点、入選作品は17点がそれぞれ選ばれました。
審査委員長の講評と各部門の入賞作品はこちらからご覧ください。
約2カ月にわたりまして、皆様からの応募作品を審査させていただきました。
その結果、最優秀賞には作文、川柳(五・七・五)、イラストの各部門で各1点、合計3点の作品が選ばれました。優秀賞作品は8点、入選作品は17点がそれぞれ選ばれました。
審査委員長の講評と各部門の入賞作品はこちらからご覧ください。
「心がね ポカポカするよ ありがとう」
新潟市立新潟小学校5年の清水奏恵さんの作品です。
口ずさむだけで、ニコニコしてしまいます。
「みんなのためにお手伝いをした時、みんなのためでなく、自分のためにもやっている事に気付きました。お手伝いをするたびに、みんなに「ありがとう」と言われてとても気持ちがよかったからです」
こちらは、東京の久松小学校4年・井上泉実さんの作文。
久松小学校も新潟小学校も、毎年江戸しぐさ・平成しぐさコンクールに全校で取り組み、優秀な作品を数多く寄せて下さいます。
毎年、たくさんの応募作品から、どれを優秀賞にするか、とても迷います。
どれも、先生のお話を聞き、友達と話しあい、そして、自分の頭で考え、心で感じる。そうした情景が生き生きと伝わってきます。
ただコンクールに応募するだけではなく、みんなで真剣に話し合う時間こそが、なにより素晴らしい。
いま、教育現場は何処も過剰な期待を押し付けられて考える隙間もゆとりもないと言われています。
その中で、江戸しぐさを学ぶことで、人として大切なものはなにか、どうしたら、みんな仲良く幸せな社会を作ることができるかを、一緒に考える。
江戸しぐさを心の教育のためにと熱心に取り組んで下さる先生を持った子どもたちは幸せです。
日本中にこうした学校が増えていることを心からうれしく思います。
「礼状に礼状が来るあたたかさ」
そしてまた、こちらの川柳は、伊万里市の岩永憲一良さん。81歳。
「生きものは、親の思いやりで育つ」
イノシシの親子のイラストは、85歳、東京の五條彰久さん。
どちらの作品群も、本当に楽しそう。
日本中に、ほほえましい、暖かい風が吹いています。
江戸しぐさがつなぎ、広げるこの風で、日本中の心がぽかぽかするようにと願わずにはいられません。
私は、「すすんでお手伝いしぐさ」を実せんしました。みんなのために、お手伝いをしたとき、みんなのためでなく、自分のためにもやっている事に気付きました。お手伝いをするたびに、みんなに「ありがとう」といわれて、とても気持ちがよかったからです。私は、この「すすんでお手伝いしぐさ」がクラスの全員が出来るようにしていきたいというのが日ごろの思いです。
また、このしぐさはクラスに「ありがとう」が広まるだけでなく、笑顔も広まります。そして、このしぐさがみんなが出来ると、笑顔の「輪」が出来ます。そうなれば、けんかをしない、仲の良いクラスになります。ただ一人がお手伝いをすればいい、そういうわけではないと思いますが、みんなが自分からやろうという着合い、気持ちがあるのだから、笑顔の「輪」が出来ます。
クラスのみんながすすんでやり、それが全体に広がることが、この「久松しぐさ」だと私は思います。
心がね ポカポカするよ ありがとう
自分が出している表情はどんな気持ちかが伝わっています。相手に出す表情は自分で調節ができます。そして私がかいた絵の場所は教室。なぜかというと、友達に出す表情ができるのは、ほとんど学校だからです。そして私がかいた絵の人の顔がほとんどちがうのは、1つ1つの表情でなにが伝えたいのかが分かるからです。そしてテーマを笑顔にしたのは、ふだんの自分の顔をふり返ってほしいからです。そして分かったときには、これから生きていく顔、表情がみんなを笑顔にするからです。
私は友達からやさしい言葉をかけてもらった時、きれいな心を持っていることはすばらしいことだと思いました。
なぜなら、私は妹にきつい言葉を言ってしまったり、時には手が出てしまったりします。その時は、妹に申しわけないと思ったりして後悔することがあります。でもその友達は、私にやさしく声をかけ、一緒に考えたり行動してくれました。
私はやさしくしてくれた友達に自分の考えが変わりました。
何事も自分の意見だけ通ると思っていましたが、しかし、他の人のことを考えている人の心の方がずっときれいだと気づきました。これからは、きれいな心に近づく様、せいいっぱいがんばりたいと思います。
私の学校には、久松しぐさというものがあります。それは、思いやりのしぐさです。その中でも、「手助け声かけしぐさ」が思いやりというテーマにぴったりだと思いました。なぜなら、だれにでもいつでもどこでもすすんで手助けすれば相手も私も気持ちが良くなるからです。
また、だれかに「ありがとう」といわれるとうれしくなります。いつも声がけすることを心がけていきたいと思いました。そして、私には声がけをしたことでいいことがおこった経験があります。
それは、友だちと仲よくなれたことです。手助けしあったり、アドバイスや話をしたりしているうちに、仲よくなれました。その時から私は声かけや思いやりの力はすごいと思いはじめました。いまでもあいさつや声かけはしています。
ちょっとしたことの気づかいが相手を思いやることだと私は思っています。
「みんなのための久松しぐさ」
ぼくは、いまから久松しぐさのいいところをかきます。30こあるうちの4つをせつめいします。
まず1つめは、手助け声かけしぐさです。たとえば、だれかが校ていで遊んでいたときにだれかがころんだとしたら、それをみかけた人がだいじょうぶと声をかけて、ほけんしつにつれていってやるのが手助け声かけしぐさです。
2つめは、ゆずり合い「どうぞ」しぐさです。たとえばドッチボールコートを4年生がとったとしましょう。でも2年生がドッチボールをやりたがっています。このときにゆずり合い「どうぞ」しぐさが必要です。こういうときは、2年生といっしょにやるか、二年生にコートをゆずるかです。このしぐさにはやさしい先ぱいしぐさとにていますね。
3つめはしらんぷりしないて拾おうしぐさです。たとえば教室にいたときに、ゴミがおちています。だれも知らんぷりをして拾いません。そのときだれかがひろって、ゴミをすてました。これは、しらんぷりしないで拾おうしぐさが必要です。なぜなら、ずっとみんながしらんぷりしていてゴミを拾わないと、だんだん教室がきたなくなっていってしまいます。このしぐさは、教室をきれいにするだい1歩につながりますね。
4つめは、自分であとかたづけしぐさです。たとえば、アリーナではねつきをしていて、チャイムがなりました。はごいたをかたづけたあと、ぐちゃぐちゃだったのが、きれいになっています。だれがやったのでしょう。でも1人1人がきをつければ、だれかがやることはなかったでしょう。つまり自分であとかたづけしぐさを1人1人がやっていれば、だれかがさいごにせいりしなくてもよかったということになります。4年でもあるので気をつけましょう。
おもいやり いつでもどこでも わすれない
ボランティア いつでもできるよ えがおでね
きずつける チクチクことば やめようよ
この絵は、「助け合い」ということをテーマにしてかきました。
「ありがとう」は、人を幸せにする事が出来ます。だから、「ありがとう」はどんどんちょきんされていきます。人を幸せにすればするほど、ちょきんがたまって自分にいい事が返って来ます。でも、「ありがとう」は心から言わないと、人を幸せに出来ません。だから、相手には『「ありがとう」を心から感じながら言う』ことが大切だと思います。なので、イラストのように、「ありがとう」のちょきんをして下さいね‼
「思いやりの心はつながっていく」
私が今から説明するのは「思いやりはつながっていく」ということです。
私は、二年生のころ友達に鉄棒を教えてもらいました。空中逆上がりという、むずかしいわざも教えてもらいました。一つ一つ、ていねいに教えてくれました。
そして四年生になるとわざも上達し、今度は教えてあげる側になっていました。友達に教えてあげる時、私は自分が教えてもらったことを思いだしつつ、一つ一つていねいに教えてあげられました。その友達が出来るようになった時はうれしかったです。「ありがとう」といわれ、とてもうれしく、やりがいがあったと感じました。
私は人に思いやりをもった行動をし、よろこんでもらえると次もそうしようというふうに思います。やってもらった人も次は他の人に思いやりをもてます。これからも他の人に対し思いやりをもっていきたいです。
「久松しぐさ」
わたしは、ゆずり合い「どうぞ」しぐさと「こうしたらいいよ」アドバイスしぐさがすてきな言葉だなと思いました。
ゆずり合い「どうぞ」しぐさがすてきな言葉だなと思った理由は、不自由な人やこしをいためている人、おなかに赤ちゃんができている人を手助けすることです。わたしは、ゆずった人の笑顔や安心感があるからこそまたゆずって笑顔にする気持ちがだんだんとふえてきます。
「こうしたらいいよ」アドバイスしぐさがすてきな言葉だなと思った理由は、たとえばAさんがそくてんの練習をしていました。けれど、なんどくり返してもできません。そこにアドバイスをしてAさんはその通りになんどもくり返し練習をしてとうとうそくてんができました。できた後には、アドバイスをしてくれたBさんにお礼をいいました。このようにアドバイスをして、もしかするとその後友だちになれるかもしれません。
みなさんもぜひ、やってみて下さい。
私は小学校に入学したてのころ、どうやって名札をつけるのか自分の席はどこなのか、いろいろな事がわかりませんでした。その時、六年生やいろいろな学年の先ぱいたちがおしえてくれてとっても助かりました。そして私はだいたいいろいろな事が分かりました。そしていろいろなべんきょうをしたり、きゅう食とう番をやったりしてやっと二年生になりました。そして新一年生が入学してきて、その一年生たちを見ていると入学したての私を思い出しました。一年生の分からない事はだいたい分かります。なのでたくさんおしえてあげました。そのようにてい学年をたすけたり、ときには六年生や五年生にもたすけられながら私は四年生になりました。
私には弟がいます。その弟は一年生なのでいろいろな事をおしえてあげました。そしたら「ありがとう」と言ってくれました。ふりかえってみると、みんなが「ありがとう」と言ってくれたなと気づき、こんな気持ちで教えていたんだと思いました。
私は、久松しぐさの「まってあげよう 友達しぐさ」を実せんしたことがあります。
中休みに友達と一緒に行こうとしていたところに友達がちょっとした用事があったため、私は先に行っててと言われました。でも、私は一人で行かずに友達と一緒に行くことにして、友達を待っていました。友達のちょっとした用事が終わり、友達が帰ってきて、まっていてくれてありがとうと言われ、とてもいい気分になりました。その時は、友達も私もうれしい気持ちになっていました。
そんな、おたがい、いい気分とうれしい気持ちになれるすてきな久松しぐさをみんなが自分から友達にたくさんやってあげたり、久松しぐさの木に書いて、みんなにいい気分と嬉しい気持ちを味わってもらいたいです。
「久松しぐさのいい所」
私は久松しぐさのいい所を3つしょうかいします。私の学校にはいろいろなしぐざがあります。そのうちの中のいいと思ったものを作文にしました。1つ目は「ろう下・かいだん右歩きしぐさ」です。久松小学校は600人以上のせいとがいるので左を歩いている人だったり、右を歩いている人もいて、ばらばらしているといそいでいる時にぶつかってしまうから、「ろう下・かいだん右歩きしぐさ」はみんなが守るといいと思いました。
2つ目は「しらんぷりしないで拾おうしぐさ」です。久松小学校のろう下にはたまにゴミがおちていることがあります。1年生~6年生みんながろう下におちているゴミをひろっているのはあまり見かけません。中休みにみんな走って校庭にいくのをよく見かけるので遊ぶ前にゴミを拾ってから遊ぶと、ろう下がきれいになってすっきりするから「しらんぷりしないで拾おうしぐさ」はきちんと守るといいと思いました。
3つ目は「こうしたらいいよ」アドバイスしぐさです。体いくの時に友達がよくやりかたがわからなかったり、できない時におしえてあげたりすると思いやりがあると思いました。
このように久松小学校にはみんなが仲良くするためのしぐさがいっぱいあります。また今日おしえられなかったしぐさもいっぱいあります。みなさんも、ケンカがおきないようにゆずり合ったりしたほうがいいと思いました。
仲直り ふわふわ言葉 みな笑顔
時大事 時は買えない もどらない
人と人 それぞれちがう 差別なし
みんなもニッコリ ハッピースマイル
あいさつは しらない人にも こんにちは
いじめだめ 気持ちをよめば すぐおわる
ひさまつしぐさ
わたしは、学年とかがごみをひろわなかったり、しらんぷりをしている人が多いかもしれないで、よいところを見ならおうしぐさをかいて、学年いや学校をいいところづくしにしたいです。
もっと笑顔がふえるようにしたいから「みんなの笑顔がいっぱいになる世の中へ」にしました。
私は「笑う角には福きたる」を使って、人が笑ったらみんな笑って、明るく、元気になるという思いで書いてみました。
生活の中でも、学校での生活でも、「ゆずりあい」が大切なので、「ゆずりあい」をテーマにした絵をかきました。
中でも、みんなが一度はやったことのある図書のゆずりあいをしているところをかきました。
工夫したところは、はい景の本のならびです。本のせの高さをバラバラにして、図書館らしさを出しました。
江戸しぐさの教義の中に“人はみな仏の化身と思えがあります”。人と人の出会いは、人間が赤ちゃんとして誕生する瞬間から始まり、愛の感動は連綿と続く祖先への繋がりと新しい生命に受け継がれるものとされます。これらは、仏教、仏の教えからくるものと思いますが、人として、過去、現在、未来に続く大切な教えです。
江戸しぐさ及びその活動に接しさせていただくと、その基本は「愛」にあると受け止めています。
イラストは、この愛の心を大仏さんが小学生の登校を優しく見守る風景で表現しました。
生きものには親の思いやりがつきもの。人間社会にはそれを忘れてしまった人がいるのが残念だ。