シリーズ 江戸しぐさの誕生とその系譜【下】

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第30話(最終話)「次のステップへ」

知恵の結晶

‘最後の江戸講元’、芝三光さんと‘江戸しぐさ語り部’、越川禮子さんに導かれながら 「江戸しぐさ―誕生とその系譜」を書き綴ってきた。冒頭にも断ったように、先人の著作を参考にしながらの試論である。

江戸しぐさへの旅はまだ終わったわけではない。しかし、ひとまず筆をおくにあたって、あえて中間報告をすれば――
「江戸しぐさ」は神道、仏教、儒教のよいところ取りをしながら、日本の風土と日本人のセンスを生かし、商人ならではの才覚で、商売を成功に導くための哲学と行動様式を整理した「知恵の結晶」ということができよう。「よいところ取り」は日本人が長年にわたって培ってきた、異文化を同一化する知恵である。決して恥ずべきものではない。

たとえば「漢字」は中国から渡来した。日本に言葉はあったが文字がなかったからだ。漢字の成り立ちを知るにつれ、日本独自の漢字、「国字」が生まれた。一方で、漢文の読み下し文を作る過程で「片仮名」が生まれた。音に漢字を当てはめていくうちに部首をとりだした「平仮名」が生まれた。ついには「いろは48文字」、あるいは「五十音表」まで作り上げてしまった。芝さんは「江戸しぐさは足し算、掛け算の知恵」とも言っている。みんなで知恵を寄せ合うことでますます発展するという意味だ。

各地でも掘り起こしを

江戸しぐさとは何か、改めて整理しておきたい。江戸しぐさは「相手を思いやる心のあり方」を大切にし、その具体的な現れである「言葉遣い」や「振る舞い」を癖になるまで身につけることで、円満な人間関係を確保し、商売繁盛につなげる大商人たちのつむぎだした知恵である。

思考は「思う草と書いて思草」、行動は「動作を示す仕に草と書いて仕草」と書き分けている。「視聴言動思を正しく」。つまり、よく観察せよ、他人の言うことによく耳を傾けよ、言葉は気持ちを伝える言霊だからいつくしんで、誰にも失礼のないように話せ、振る舞いに全人格が出るから癖になるまで訓練せよ、そしていつも思索せよ。こうしたことどもが常に正しく行われているかチェックせよ。

その背景には『論語』をベースにした、中江藤樹や石田梅岩たちの思索と行動が色濃く投影している。その典型は江戸に限らず全国各地に進出、見事、地域に根を張った近江商人たちの足跡に見ることができる。

ではなぜ、江戸しぐさなのか。たまたま260年余りにわたって、政治経済の拠点として、さまざまな要素が凝縮、磨き上げられたこと、しかも幸いに、細々ながら江戸講の火が続いていたことによる。掘り起こせば、円満な人間関係を築く知恵、商売繁盛につながる知恵は各地に、その地域の特性を生かした形で、○○しぐさとして残っているはずである。

いま・うらしま

では、なぜ、今まで述べてきたような江戸しぐさの達人たち、優れた人材の事跡がきちんと後世に伝わらなかったのだろうか。あるいは、なぜ、こうした人格、力量を備えた人物を生んだ教育法に関心が向かなかったのか。

一言で言えば、歴史の重みを理解できていなかった。明治維新で勝者となった官軍側が、統治の都合上、江戸時代に関するものは全て否定したからである。「勝てば官軍」。諺にあるように、敗者は沈黙を守らざるを得なかった。

江戸ゆかりの人たちは江戸を離れ、それとともに、一種の秘密結社のように口伝の形で培ってきた江戸しぐさも一般の人にはますます伝わらなくなった。江戸の人口を百万人として半数は武士、残りが商人や職人などの町人。維新直後の人口は脱出者が相次いだため30万人程度とされる。打ち壊された屋敷跡は桑畑に転用されたほど荒れ果てていた。

第二次世界大戦も江戸しぐさにとっては災難だった。「戦争中は集会の自由がなかったし、戦争が終わったらすべて正しいものはあちらさん、アメリカになって日本の伝統や文化は全て否定されてしまった。日本の伝統、文化に関する書物が大量に処分された、GHQ『昭和の焚書坑儒』もありました。言論統制の下ですっかり日本人が洗脳されたあとでは、GHQが江戸しぐさはいいといっても、なかなか復活するのは難しかったんですね。江戸の昔は、、、といっただけで変人扱いされましたから、、、若い方に」

こう言う芝三光さんは、「うらしまたろう」とも名乗った。「だって、皆さんから見たら竜宮城から戻ってきた人に見えたでしょうから、、、」と。

それでも晩年、江戸しぐさが普及し始めた喜びを噛み締めながら、越川さんに言ったそうだ。「江戸楽で、とりあえず皆さんに理解してもらえるようになったから、そろそろ江戸学の看板も上げましょうか」。

人間力をつける

「傘かしげ」「肩引き」「「こぶし腰浮かせ」。いずれも江戸しぐさに関心を持つきっかけとしてみると、実に優れたパフォーマンスであり、ネーミングである。しかし、その本質はもっと深く幅の広いものである。

江戸しぐさを日ごろから心がけていると、けんかやトラブルはまず起こらない。いや、むしろ未然に防ぐ予防効果がある。「大人たちは、なぜ、こんなすばらしい江戸の知恵を教えてくれなかったのか」。越川さんは、ある中学校で講演した折、こんな意見を聞き、改めて使命感に燃えたという。

子供から大人まで、高い倫理観や正義感をはじめとする失われた日本人の特性を取り戻し、社会が健康になる、つまり私たちみんなが「人間力」をつけるために、もっともっと江戸しぐさを活用すべきだろう。

NPO法人江戸しぐさの活動も始まった。歴史的、あるいは学問的な堀りさげをする一方、人間関係や躾・子育て、人材開発・教育、起業、マーケティング、あるいはマネジメントの視点から考えた、さまざまなプログラムを用意した『江戸しぐさ講座』を準備中である。

(誕生と系譜 第30話[最終話]了、桐山)

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