シリーズ 江戸しぐさの誕生とその系譜【下】

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第29話「エッセンス」

自然と共生

朝、太陽に手をあわせ、夕日に涙する。秋、ススキの向こうに満月が昇る光景に興趣を感じる――いずれも伝統的な日本人の感情である。自然と一体となって生を感じる感性が自然を大切にし、何事にも謙虚な日本人をつくりあげてきた。

戦乱が終わり、260余年に渡り、平和が続く江戸時代が実現したことで、こうした特性はさらに磨きがかかった。世界でもまれな清潔で、循環型のリサイクル都市が生まれたのもその成果だ。長屋の糞尿は畑の肥料となったし、農家の囲炉裏は暖を取るだけでなく、灰を作るミニ工場になった。

「江戸しぐさ」の本質が「相手に対する思いやり」であり、「言葉遣い」や「振る舞い」にその心が表れるとするのも、そのゆえである。幕末、日本を訪れた外国人は一様に日本人の特性に驚き、記録を残している。その代表的な例として英国人、エドウィン・アーノルド(1832-1904)が1889(明治22)年、来日した折のスピーチがある。

「神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生きがいあらしめる、ほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位におくものである」(『逝きし日の面影』渡辺京二、平凡社)

謙譲ではあるが卑屈ではない、という表現は、まさに江戸しぐさに通じる。長い時間をかけて日本人が培ってきた特性を、外国人は比較人類学の手法で掴み取ったに違いない。これに先立って、1805(文化2)年ごろの日本橋界隈の賑わいを描いた『煕代勝覧』(きだいしょうらん)という絵がある。今川町から日本橋までの大通りを東側から俯瞰したもので、約90件の問屋や店、約1700人の人物が登場する。当時の町の様子、そして人びとの穏やかで深みのある暮らしぶりが手に取るようにわかる。

芝三光さんが、GHQの婦人将校に「傘かしげ」や「肩引き」「こぶし腰浮かせ」のパフォーマンスをしたことは、異文化圏の人にもわかりやすく、大手柄だった。

江戸っ子の4条件

江戸しぐさから見た江戸っ子の条件は4つある。「仏の化身」「時泥棒をしない」「三脱の教え」「遊び心」。

  1. 「仏の化身」
    石田梅岩が「人間は仏の前では平等である」と説いたことは先に見た。無論、梅岩が初めて説いたわけではない。親鸞をはじめ宗教家たちがとっくに説いている。しかし、現世では、建て前としての士農工商はあるが、来世に行けば平等だという考え方が、いつしか、現世でも実現可能という前向きの姿勢に変わっていった。

  2. 「時泥棒」
    江戸の時刻は明け六つ、暮れ六つという表現からもわかるように一日24時間を一刻2時間とし、季節ごとに変わる日の出、日の入りにあわせて調整していた。また、暦も大の月(30日)、小の月(29日)の12ヵ月ですまず、必要に応じて、閏月を1ヵ月増やした。したがって、敏感に、こうした時間の変化をつかんで行動することが要求された。「時泥棒は十両の罪」というのも、十両盗めば死罪ということから連想できるほど、罪が重いぞ、という戒めだった。

  3. 「三脱の教え」
    年齢、出身地、身分など肩書きを気にしない。日本における陽明学の開祖とされる中江藤樹は近江の農家に生まれ、祖父の家督を継いで伊予大洲藩の武士となり、母親の看病のため再び近江に戻って、酒屋を営んでいる。彼の講座には武士もいれば、商人も、農民も、馬子もいた。
    1724年、大阪に開いた懐徳堂は当初、「武士を上座とするが講義が始まったら身分を問わない」とした。それが1773年になると、「書生の交(まじわり)は貴賎貧富を論ぜずず、同輩と為すべき事」となった。

    江戸で川柳や狂歌が盛んになる1750年ごろには武士も町人も身分に関係なく集まる一種の文化サロン、「連」まで生まれた。

  4. 「遊び心」
    知恵比べ、技比べである。吉原のような悪所通いも遊びには違いないが、ちょっと違う。木版画は最初墨一色だった。それがあとから色を塗った丹絵、紅絵、漆絵を経て墨、紅、緑など数色を重ねた紅摺絵と発展し、ついに多数の色版を重ねる錦絵となった。この錦絵が誕生するきっかけになったのは大小絵暦交換会という連だった。毎年大の月と小の月が替わるから、今で言うカレンダーにちょっと工夫を凝らした。絵師、彫り師、摺り師の三者が一体になって始めて実現した。

人づきあいの5原則

さて、江戸しぐさには人づきあいに欠かせない要諦が5つあった。「指切りげんまん」「見てわかることは言わない」「結界覚え」「その人のしぐさを見て決めよ」「尊異論」。

  1. 「指切りげんまん」
    小指と小指を絡ませて約束した。もし破ったら拳骨を1万回浴びせるぞ、という意味だ。昭和30(1955)年代までは子供の遊びの世界に残っていた。約束はそれほど重要だった。赤穂浪士を陰で支えた大阪商人の天野屋利兵衛は嫌疑をかけられ、拷問にあったが、彼らが本懐を遂げたと聞くまで白状しなかった。口約束だが、「天野屋利兵衛は男でござる」を実証した。

    もっとも、指きりげんまんには「死んだらごめん」がついた。何かの拍子でこの世にいなくなったら約束を守らなくてもごめんねという意味だった。裏返せば約束を破ったら死ぬ覚悟がいったのである。

  2. 「見てわかることは言わない」
    禁煙の張り紙があったら「禁煙ですか」と確認するまでもなく、その支持に従えばいい。相手が炎天下にお店にやってきたら「熱いですね」という前に、冷たい濡れタオルと水をすっと出すことが大事だ。

    映画の中で寅さんが言うセリフ、「それを言っちゃあおしまいよ」。なかなか含蓄がある。そこまで決定的なことを言ってしまうと、一生仲たがいのままになる。その一言を飲み込んでしまうのが、付き合いのコツということだろう。「気づき」や「気働き」を教えているともいえる。

  3. 「結界覚え」
    落語家が話を始める前に、ひざの前に扇子を置く。語り手と聞き手の世界を分けるしぐさだ。「餅は餅屋」という。餅についての話はその専門家である餅屋に任せようということだ。素人が生半可な知識で口を出したら話がおかしくなると戒めた。
    それぞれが自分の職業に自負を持ち、研鑽を重ねているという前提があっての話だが、自分の立場をわきまえよ、出すぎた真似はすまいぞと言うことでもあった。

  4. 「その人のしぐさを見て決めよ」
    高学歴、高収入、高い身長を三高として、夫選びの条件と週刊誌が書きたてたことがあった。結果はどうだったか。うまくいくわけがない。人間の本質はどこに現れるか。「視聴言動思」。中江藤樹が『書経』の中にある、王としてあるべき要諦「貌言視聴思」を、人間として有るべき心得として言い換えたことに思い当たる。目つき、表情、ものの言い方、身のこなし、を見れば、自ずから、その人物の品性や教養が見えてくる。白木屋の定法が「亭主の気質がわからないところと売り物取引をしてはいけない」あるいは「気心がわからない人とは取引をしてはいけない」としていたことを思い出したい。

  5. 「尊異論」
    江戸の大棚では流行の売れ筋などを判断する場合、小僧や丁稚の意見をよく聴いたという。江戸しぐさの中に「百人番頭」という言葉がある。大勢の部下をそれぞれの個性、適性、能力に応じて使いこなす上司をほめたものだ。これも、それぞれ部下の器量の違いをよくわかっているからできたことだった。

(誕生と系譜 第29話了、桐山)

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