シリーズ 江戸しぐさの誕生とその系譜【下】

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第27話「商人の心得」

心構え

前回に引き続き、『江戸奉公人の心得』を参考にさせてもらう。
子ども(小僧)、手代、小頭役、年寄役、支配役と年を経て出世していく中で、さまざまな仕事を体験していくが、何よりも大事なのは、心構え。その心構えはすでに見たように寺子屋の延長線上にある。1796年ごろつくられたと見られる白木屋の定法『永禄』から見てみる。

まず、強調したのは四つのお陰様である。

「如来の御慈悲の御恵」「父母の恩」「主人のお陰」「師のお陰」。

仏様の元締めというべき阿弥陀如来の慈しみの下に生かされていること、今日、生を受けて、この世にあるのは父母のお陰である、このように職を得て仕事をさせていただいているのは、雇い主であるご主人のお陰である、自分がお店や社会に役立つようになったのは昔も今もいろいろ手ほどきを受けている先輩方のお陰である。

では、お陰とは何か。陽が当たると影ができる。つまり陰と陽。自分だけが陽が当たっていると、すべて自分の実力だと思い勝ち。しかし、裏から、あるいは下から陰で支えてくれる人があってこそ、今がある―こう江戸の人たちは考えた。そして、お店では「奉公人同士の関係は、上々には丁寧に下々には手本に」「言葉遣いは銘々役柄、言葉遣いを大切に」。お店での序列は一定時期までは年功序列。仮に力量があっても先輩を立てることで自己陶冶を期待した。上役には丁寧に接し、後輩に対しては手本になれ。江戸しぐさに「おはようには、おはよう」がある。丁寧な挨拶には丁寧に、軽い挨拶ならそれ相応にという。言葉遣いは気をつかいすぎても、つかいすぎることはないと戒めた。

お客さまへの対応

1740-43年に書かれた『規矩』や、その50年ほど後に書かれた『永楽』を元に接客態度やお客の信用度を見分けるチェックポイントを見てみたい。

接客態度。
「お買い上げの多少にかかわらず、大切のこと」「愛想をよく丁寧にあいさつせよ」
「得意先には常々手紙を出し、ごあいさつ、連絡を忘れぬこと」「お客様の筆跡を覚えよ」「付け届けや接待はほどほどに」「外回りの現金回収はその日のうちに担当者に」。

信用できるお客様か、そうでないお客様か。

「確かな人物でも長年の付き合いでないうちは、掛け高を多く貸すことは厳禁」「亭主の気質がわからないところとは売り物取引きをしてはいけない」「気心がわからない人とは取引をしてはいけない」。

「気質」や「気心」という言葉に着目したい。表情や言葉遣い、振る舞いをさりげなく観察、人物や信用度を判断する力量を問われた。

客筋の判断について。
「安全な現金売りを奨励する」「売掛金の催促は頻繁に」「職場と住所が確かな得意先を持て」「お得意様の代替わりのときは油断大敵」

先に見た渡辺崋山の『八訓』や『八勿』より50年から100年早い。

『明鑑録』

売掛金回収がいかに大切なことだったか。落語『文七元結』で文七が川に身投げをしようとした原因を思い浮かべればいい。お得意先で、囲碁の相手をしているうちに夢中になり、回収した売掛金を忘れたためだった。「外回りで私用はご法度」を無視した罰である。直木賞作家・山本一力さんの小説『梅咲きぬ』に登場する、老舗料亭「江戸屋」が騙(たか)りに対応できたエピソード。
普段の言いつけを守った9歳の娘玉枝が、お客の指の爪垢に気付いて不審に思い、実際にその店が実在するかどうか確認していたからだった。「相手のしぐさで信用できるか、できないか、判断する」訓練の賜物である。

こうした戒めにもかかわらず、不始末を起こしたときはどうするか。白木屋には奉公人の犯罪取調べ帳に当たる『明鑑録』が残っている。最も突出した盗人奉公人、中村嘉助の場合、なじみの遊女に入れあげていた。店の商品を勝手に盗んで与えたり、横流しして現金化した挙句、同僚から5両を借金、近江に戻る。しかし、うまくいくはずはなく、江戸に舞い戻り、あろうことか、世話になった白木屋に盗みに入る。盗み出したのは2回にわたり、484両あまりと商品11点。やがて捕まるのだが、白木屋は表ざたにしていない。信用第一に、不祥事を外に出さなかった。

給金と結婚

余談になるが、給金に触れておく。日本橋店の姉妹店、富沢町店の場合、1769(明和6)年の記録によると、年俸は15歳で元服後3年目まで4両、4年目から5両、桐生などに出向いて絹などの仕入れを担当する買出し役になると6両、支配役は10両。元服前は住み込みなので給金は出していない。
もっとも、この支払いは年間の使用限度額を示している。お仕着せ以外の衣類や店の食事以外の飲食物を購入するときは必ず店を通した。衣類も年次ごと、職位ごとに素材や柄が決まっていた。

ちなみに退職金は23年以上勤務すると、50両、支配人退職のときは100両。富沢町店は諸事、日本橋店に相談をして物事を決める仕組みになっていた。日本橋店の場合も、資料は見つかっていないが、これと同等、もしくはやや上回ると見ていいようだ。結婚は住み込み中はしない。20代から30代に退職、他の職についてからになった。したがって晩婚が多い。暖簾分けが許されたのは支配役、年寄役経験者だけ。「別家」あるいは「出見世衆」を名乗り、独立後も白木屋とのつながりが強かった。

(誕生と系譜 第27話了、桐山)

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