シリーズ 江戸しぐさの誕生とその系譜【下】

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第26話「江戸の奉公」

江戸の奉公

√お江戸日本橋七つ発(だ)ち
初上(のぼ)り行列揃えて
あれわいさのさ
こちゃ
高輪夜明けで提灯消す
こちゃえこちゃえ

この歌は天保年間(1830-44)にはやった「こちゃえ節」を元歌に1871(明治4)年に生まれた。朝の午前4時に日本橋を出発したと始まり、約1時間歩いて高輪の大木戸あたりに差し掛かったら夜が白み始めたので、提灯を消した、、、と続く。この歌を耳にした人は多いはず。では、どのような状況を歌ったものか。「初上り」とは何か。「行列」を作っているのはどんな人たちなのか。

初上りは、小僧が江戸の大店に勤めて9年経つと、ご褒美に与えられる里帰り。期間は50日間。片道、2週間をかけてご本家に大旦那様を訪ね、本店で1週間、その仕事ぶりを見てもらう。無事、承認を得られれば、実家にあいさつの後、再び江戸に下り、手代に昇格することが約束されている。

「江戸店京商人(えどたなもち・きょうあきんど)」と言う言葉に象徴されるように、江戸の大店の主(あるじ)の多くは近江や伊勢出身で主が京都に住んでいるケースが多かった。いきおい、小僧も主の出身地周辺で調達し、12-13歳になると、江戸に送り込まれた

呉服商白木屋

最近、出版された好著に『江戸奉公人の心得帖―呉服商白木屋の日常』(油井宏子著、新潮新書)がある。白木屋はもともと近江の材木商。創業者の大村彦太郎可全(1636-1689)が材木商だった父親が亡くなったため、いったん母親の実家に引き取られ、後、叔父の支援で京都に材木店を開いた。開業資金は銀200貫、ちょうど4000両。

しかし、必ずしも順調とはいえず、参勤交代で賑わいを見せている江戸進出を決意する。1662年、江戸に小間物屋を開いた後、次第に業容を拡大、呉服商、百貨店へと成長していった。モットーは「商いは高利を取らず、正直に、よきものを売れ。末は繁盛」。その歩みは江戸の大店における奉公の実際を知る上でたいへん参考になる。

冒頭に紹介した初上りは、その白木屋の記録を元に読み込んでみた。小僧たちと一緒に行列に加わっているのは、16年目の「中上り」、それに、22年目の「三度上り」、あるいは支配役まで勤め上げた「隠居仕舞い上り」も加わっていたかもしれない。

白木屋の場合、初代大村彦太郎可全が近江長浜出身だったことから奉公人は長浜周辺から雇い入れた。寺子屋に数え7歳で入門、4,5年在籍し、11-12歳までに読み書き、そろばんを習っている。この子どもたちの中から、跡取りではない次男、三男で、気が利き、役に立ちそうな者を選んだ。「気づき」や「気働き」ができるかどうかは、商人として大成するかどうかを見る、重要な要素だった。

2年目の壁

もっとも、すべてが順調に育っていくわけではない。1837-1867年の記録を見ると31年間で326人が辞めている。入店2年目を見ると、病気退職が14、死亡が11、退職が28、いずれも全年次中、もっとも多い。商人にとって信用は何ものにも換えがたい。それだけに年端がいかないのを承知の上で躾ていく。親元を離れ、しかもカルチャーショックがある。2年目の壁を乗り越えて、9年間を勤め上げることは大変なことだった。

(誕生と系譜 第26話了、桐山)

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