シリーズ 江戸しぐさの誕生とその系譜【下】

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「寺子屋から始まった実学」(第22話~第30話)

(あらまし)
寛政の改革で、その経済力と自身を、いったんは叩き潰されたかに見えた商人たちだが、そこは、したたかだった。

建前としての武家社会と自分たち町人社会との折り合いをいかに、つけていくか。また、一方で、せっかく築きあげてきた家督を、いかに守り続けるか。知恵を絞った挙句、いきつくところは、『論語』であり、論語を日本に根付かせてきた思想家や、実際に日常の暮らしの中やビジネスで孔子の教えを実践してきた先人たちに改めて学ぶことだった。

このシリーズ『江戸しぐさ―誕生とその系譜』(中)で「背景にある思想と先人たち」としたのは、「江戸しぐさ」がよって立つ基盤を再確認するためだった。
かくて、商人たちが確信を持って進めたのが、すでに1750年前後から全国に広がりだしていた寺子屋での子弟養育である。寺子屋は躾から始まってちょっとしたビジネススクールになっていた。

1700年前後に藤樹学派、やや遅れて1770年前後には、心学講舎が江戸に進出している。この流れを見ると、1650-1700年ごろには江戸にも個人ベースで修養に励む商人が出始め、1750-1780年ごろには仲間ぐるみの江戸講が姿を見せ、精神修養にとどまらず、次第に実務につながるロールプレイングが加わった、と思われる。ちなみに、白木屋が従業員のためにまとめた一種の就業規則で、かつ接客ノウハウである『規矩』をまとめたのが1740-1743年である。それから約50年後には精緻な店の就業規則『永禄』が出来上がった。

「江戸講は毎月2回、店を休んで続ける重要な会合だった」(芝三光)。
日頃から心の研鑽を積み、自己を鍛え、人を見分けることによって、商売繁盛が約束される。こうして、心の持ち方、言葉遣い、振る舞いなど一連のしぐさは、「繁盛しぐさ」、あるいは「商人(あきんど)しぐさ」として定着、口伝の形で、言い継がれていくことになる。

後世に言われる「江戸しぐさ」の輪郭がおぼろげながら見えてきた。寛政の改革は、商人たちに、いちだんの精進を迫ったのではないか。

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