シリーズ 江戸しぐさの誕生とその系譜【中】

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第20話「商人八訓」

家督相続

前回紹介した、海保青陵は1791年、跡取り息子が放蕩者で、勘当せざるを得なかった駿河国東海道原宿(現沼津市原)の豪農、植松家本分家に立ち寄り、その見聞を記録に残している。

まず1785年、分家で三代次郎右衛門の跡継ぎ問題、ついで1787年、本家補佐の理兵衛の跡継ぎ問題が起きたのだ。騒動の模様は『江戸の教育力』(高橋敏著、ちくま新書)に詳しい。

時代はますます経済化していく。関係者も多い。信用第一に家業に励むことが肝要である。家督を守るために、たとえ実の息子であっても不届きな所業があれば、勘当するのが商人の掟(おきて)だった。

娘に婿をとる例が多いのも、「お家大事」の発想からきている。日ごろの勤め振りを見て婿にしたり、知人を通じてできのよい、次男、三男を婿にするのは、家督継続を考えたら当然の措置といえるだろう

鴻池家の家訓

大阪の豪商、鴻池新六(1570-1650)は酒造業として、従来のにごり酒から清酒を開発、成功した人物である。家訓に、「あらゆる事柄の正道を見極め、王法(幕政)、国法(藩政)の法を守り、人道にそむかず、藩主を大切にし、父母に孝行し、家内はむつまじく、へりくだって、決して驕らず、家業第一に励むがよい」とした上で、家督相続について以下のように、書いている。

「若気の至りといえども酒宴遊興に長じ家業に怠り、みだりに金銭を費やすのは先祖の積徳や父母の厚恩をわかっていないためだ。諫言に耳を貸さないならその身に一銭も与えず家から放り出せ」

同様の表現は、先に見た盛岡近江商人の『村市文書』にもある。

「若し不届きなる者、これ有れば、手代は申すに及ばず、名跡たるといえども、よくよく見届け、愍憐(びんれん)を加えず、急に追い出すべく、遅々に及べば必ず家失亡すべき事」

商道徳に反するなど不心得ものが出た場合、従業員は無論、跡取り息子であっても、しっかり吟味の上、情け容赦をせずに、急いで追い出してしまえ。処分をいたずらに延ばすと必ず御家の存亡にかかわる。

「主人たるものよくよく人を見、その品々に使うべき事第一なり、先ず、わが身持ちを嗜(たしな)まざれば仕置立つまじき事」

主人の心得はきわめて大事だ。従業員の性格や実力をよく見極めて、人物の器や適性に応じて使いこなせ。当然のことながら主人自身が自分の行動を律していなければ、周囲に対する説得力はないことを、よくよく心に留めておけ。

家督はそこまで徹底して守るべきものだったし、だからこそ、日ごろからの精進の大切さを訴えたのだ。

崋山の八訓

渡辺崋山(1793-1841)。幕府の海防政策について批判、1839年の「蛮社の獄」で囚われて、自死した政治家で、画家、文人でもある。この崋山が商人のあり方について書いた「商人八訓」がある。

一 先ず朝は、召使より早く起きよ ニ 十両の客より百文の客を大切にせよ 三 買い手が気に入らず、返しに来たならば、売る時より丁寧にせよ 四 繁盛するに従って、益々倹約せよ 五 小遣いは一文より記せ 六 開店のときを忘れるな 七 同商売が近所にできたら懇意を厚くして互いに勤めよ 八 出店を開いたら、三ヵ年は食料を送れ

その意味は、率先垂範、購入金額の多寡でお客様を区別するな、返品のときこそ大切に扱い次の来店を期せ、繁盛し始めたからといって謙虚さを忘れるな、小遣いの始末をしっかりやれ、初心忘れるべからず、同業者とはよきライバル関係に、従業員が独立したら3年は面倒を見よ。

崋山は朱子学や農学、蘭学に通じ、三河国田原藩(現愛知県田原市)の家老に就任した1832(天保3)年を期して、『報民倉』(食糧備蓄庫)を築き、『凶荒心得帳』という対応手引書を用意し、綱紀粛正と倹約を徹底させていた。

このため1836(天保7)年から翌年に掛けての「天保の大飢饉」の際、藩内から一人も餓死者を出さず、幕府から唯一、表彰された実績を持つ。

この背景には、同じ「蛮社の獄」に連座した高野長英(1804-1850)らとかねてから飢饉対策を論じ、ジャガイモと蕎麦を活用する『救荒二物考』の出版に際しては挿絵を担当するなどの、実学があった。

だからこそ、商人のあり方にも一家言があったのだ。

崋山の八勿

ついでに、崋山が交渉の要諦を説いた「八勿(ぶつ)」を以下に披露しておく。八訓が○○せよとしているのに対し、○○するなかれとしているのが特徴である。いずれも商人の心がけとして重要で、今日でも通じる。

一 面後の情に常を忘れるなかれ 二 眼前の繰廻しに百年の計を忘れるなかれ 三 前面の功を期して後面の費を忘れるなかれ 四 大功は緩にあり 機会は急にありということを忘れるなかれ 五 面は冷なるを欲し 背は暖を欲すると云うを忘れるなかれ 六 挙動を慎み其恒をみらるるなかれ 七 人を欺かんとするものは人に欺かる 不欺は即不欺己ということを忘れるなかれ 八 基立て物従う基は心の実という事を忘れるなかれ

勿は「なかれ、つまり○○してはいけない」という意味だ。

八勿の趣旨は――情におぼれるな、目先のやりくりばかりに気をとられるな、見かけの功は大きく見えるが算盤は合っているだろうか、じっくり攻めれば大功は約束されるが、逆にチャンスは逃がすなという言葉もあるぞ、冷たい頭脳と熱い心を持とう、行動は慎重にして心の底を見透かされぬように、人をだまそうとすれば自分もだまされる、誠実な心があっての基本方針であり、物事が動く。

細心かつダイナミックな発想を商人たちが持つようになった理由――まず、内省的になって、自分たちの存在意義、身の処し方を考えた。その上で、現状の政治体制や経済を分析、将来への展望を、実証的に、かつ論理的に追求していった結果だろう。

(誕生と系譜 第20話了、桐山)

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