シリーズ 江戸しぐさの誕生とその系譜【中】

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「背景にある思想と先人たち」(第12話~第21話)

本シリーズは、これまで「江戸っ子と町人文化」をテーマに書き進んできた。
その骨子は次のようになる。

秀吉以来の「豪商を利用して町づくりや自治、経済活動を展開する」という統治原理を家康はそのまま採用した。その結果、武士優先の建前は次第に揺らぎ、町人たちは勢力を増大した。

1721(享保6)年には商人や職人に対し、組合を設立するよう町触が出た。対象となった職種は扇屋、紺屋、雛人形屋、煙管屋、塗師などの日用品から装飾品、菓子など約90種。贅沢品の取締りを意図したものだ。一方で株仲間からは冥加金徴収に精を出している。

1750年前後には第一世代の「江戸っ子」が生まれた。元禄時代前ごろから江戸に住み着いた魚河岸の旦那衆、蔵前の札差、木場の材木商の大旦那などをリーダーとする町人たちだ。

宝暦・天明年間(1751-1788)は経済的繁栄を背景に、「宝天文化」と呼ばれる文化が花開いた。「江戸っ子」が文献に現れるのは1771年の『川柳万句合』。「大江戸」は1789年の『通気粋語伝』。

この時期、武士も商人も、職人も、身分の隔てなく「連」を通じて、大いに交流、文化の花が開いた。しゃれたペンネームはその表れで、それぞれ才能を競い合った。

巷間伝えられる文化・文政期(1804-1830)から幕末にかけて生まれた第二世代の「江戸っ子」とは異なることに留意しておきたい。

ともあれ、「江戸文化を謳歌する町人」に対し、「経済力で明らかに劣る武士」という事実をまざまざと目の当たりにした幕府は、体制の危機を感じ取り、「寛政の改革」を断行する。

この動きは町人文化の流れに水を差した。のみならず、商人たちに、武家社会と折り合いをつけながら、独自の生活哲学とリーダー学に磨きをかけるよう促す。

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