シリーズ 江戸しぐさの誕生とその系譜【上】

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第3話「江戸しぐさへの旅」

米国の徹底した日本研究

この点、芝さんは、積極的に話すわけではないが、比較的、オープンだった。

GHQが次々に指示を出す占領政策を目の当たりにするにつれ、米国がいかに日本を研究していたかを知る。

たとえば、文化人類学者、ルース・ベネディクトが書いた『菊と刀』。素晴しい菊の懸崖を作り上げる優しさと、いざ、事あれば刀に手をかけるこわさの二面性を持つ日本人のありようを、見事に抉り出している。

後年、日本文学の大家になるドナルド・キーンさんも日本占領に備えて研修を受けたスタッフの一人だった。1966(昭和41)年、評論家、吉田健一さんの軽井沢の別荘でお目にかかる機会を得た。日本人以上に日本をよくご存知だった。その後、1982年、片山蟠桃賞を受賞している。

米国は第二次世界大戦で、暗号に日本人には解読不可能なアメリカ・インディアンの言葉を使う一方、徹底的に日本の文化や社会を研究していた。

『教育勅語』に関しても担当者のリポートでは、当初、問題がないとされた。日本人の精神形成にとって重要であるという判断だった。しかし、日本の社会構造そのものをつくり変えようとしていたマッカーサー元帥が、破棄することを強硬に主張したのだという。

江戸しぐさへの旅

あるとき、芝さんに幼いころの体験がふっとよみがえった。江戸講では「商人(あきんど)しぐさ」もしくは「繁盛しぐさ」を口伝で継承してきたことを祖父からしばしば聞いていた。よい機会と思い、女性将校に提言した。

「日本にはGHQが目の仇にする『軍国主義』とは違う、素晴しい伝統がたくさんある。

日本を統治するにはそうした口伝えの江戸しぐさを有効活用すべきだ」。

すると、彼女が聞いた。

「面白い。たとえばどんなもの?」

そこで、とっさに見せたのが「傘かしげ」「肩引き」「こぶし腰浮かせ」。

傘かしげは互いに道ですれ違うとき、相手に雨がかからぬよう傘を反対側にそらす。肩引きは、やはり、すれ違うとき、ちょっと肩を後ろに引いて譲り合う。こぶし腰浮かせは船の中で譲り合って席を作る。

この種のしぐさは往来しぐさのひとつで、挨拶であり、貴方に敵意を持っていませんというシグナル(信号)にもなった。欧米人にはわかりやすい。

「ザッツ 江戸しぐさ」。「グッド!広めてください」

ニューヨークで話題に

GHQの中で、江戸しぐさは評判になり、帰国したニューヨーカーたちが、高級専門店が立ち並ぶフィフスアベニュー(五番街)でおどけて実演したことがある。早速、通行人たちが面白がってまねをし、一世を風靡した。軍関係の新聞『スターズ・アンド・ストライプス』に紹介されたという。

「以来、この三つの瞬間芸がイコール江戸しぐさになりました」越川禮子さんが明かす秘話である。

古くは「寛政の改革」の経験から、江戸しぐさを伝承するため、江戸講は一種の秘密結社として活動、その内容は文書には書き残さず、口伝が当たり前だった。仮に書いてあっても公開しなかった。陳腐化するのを避けるとともに、商売繁盛を約束する貴重なノウハウの流出を避けた。

それが明治維新で江戸時代を全否定する荒波が押し寄せ、さらには敗戦という形で日本の伝統や文化が否定され、江戸講とともに四散した。

したがって、芝さんの周りの古老たちは「GHQがよく許可をしたものだ。後で何か揉め事が起こらぬか」と懸念する一方で、「江戸しぐさは日本の精神文化復興への手がかりになる」と喜んだと言う。

かくて、芝さんの「江戸しぐさへの旅」が始まった。ライフワークとして社会教育団体「江戸の良さを見なおす会」を作り、研究に没頭する傍ら、さまざまな情報発信を始める。

(誕生と系譜 第3話了、桐山)

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